【第三章:軍団長と全盛期】(第九話)初めて“ミリオン”を達成した月と、人生を変えた出会い

物語

2020年の10月。
専業生活にも少しずつ慣れ、日々の立ち回りにも迷いがなくなってきた頃でした。

緊急事態宣言が明けてから、なぜか設定状況はどんどん良くなっていきました。
いわゆる“取材イベント”も活発で、特定日と重なると、ほぼ毎日どこかしらで設定を狙える状態。

設定6の機械割は110%前後の台が多かったものの、
とにかく判別が早い・簡単・そして安定感が抜群。
今思えば、無職の専業にとっては本当に恵まれた時代でした。

この頃は絆2、吉宗3、エウレカ3、モンキーⅣあたりをよく打っていました。
さらに、タケノコを筆頭に4人の打ち子が稼働に参加してくれる日も増え、
そのおかげもあって──

専業の目標にしていた “月収100万円(ミリオン)” を初めて達成しました。

■ 当時の立ち回りと考え方

朝イチは設定狙い。
抽選負け、あるいは狙い台を外したら即ハイエナに切り替える。

いわゆる“オーソドックス”な動きですが、
当時の環境ではこの立ち回りが最も強かったと思います。

朝はとにかく集中し、
ツモれた日はツモれた日で次の日の作戦を立て、
スカった日はデータをまとめつつ、ハイエナしながら店を回る。

設定判別要素はすべて頭に入れていて、
自分が打たない台の挙動も “設定6パターン” として覚えるようにしていました。

今のスマスロ環境とは違い、当時は本当にスピードと安定感が段違い。
スカっても大きな痛手にならず、精神的にもかなり楽な時代でした。

収支を上げるうえで大事な要素の1つに、
モチベーションの維持 があります。

どんなに知識があっても、稼働に行かなければ期待値は積めません。
どれだけ理不尽な展開を食らっても、
勝ち負けではなく “期待値で判断する” こと。

専業として結果を出している人にとっては当たり前の感覚ですが、
意外にも、この考え方を持っていない専業も多かったです。

当時の僕は、とにかくパチスロが大好きで、日々が楽しかった。
稼働以外に用事がない日は、ほぼ毎日ホールに向かっていました。

やるべきことをやり、稼働時間を増やす。
少人数 or ピンで収支を伸ばすには、
結局のところ “これしかない” と今でも思います。

■ 運命を変える出会い

話は少し変わりますが、
僕は仲のいい人たちにはこの生活のことをよく話していました。

するとある日、
「知り合いの社長が専業に興味を持っているらしい」
という話が舞い込んできました。

ただ、当時の僕にはこだわりがあって──
打ち子を雇うなら “知り合いで、お互いにメリットがある関係” でなければ絶対に嫌。

・お金を預ける
・メダルを預ける
・情報を共有する

信頼がない相手とは絶対にできない。

事実、Twitterでは “飛ばれた親” を何人も見てきました。
だからこそ、僕は慎重になっていました。

正直、会うつもりはあまりありませんでした。
それでも──社長の方がどうしても会いたいと言っているとのこと。

アル
アル

うーん……会ったこともないけど、会社を経営してるなら
お互いにメリットがあるかもしれない。
話だけでも聞いてみるか。

この判断が、のちに僕の人生を大きく変えることになります。

コメント

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