【第一章:養分~目覚め】(第二話)パチカスが突然100万円を手にした話

物語

20代前半のある朝。
当時勤めていた運送会社へ向かう途中のことでした。

片側2車線の国道を走っていると、突然、対向車が右折して目の前に飛び込んできました。

そのまま衝突。乗っていた軽自動車は大破し、全身が激痛でまったく動けませんでした。

救急車で運ばれ、後から状況を聞くと――
シートベルトをしていなければ助からなかった可能性が高い とのこと。

事故後は保険会社と弁護士が介入し、過失割合は 8:2。
治療費と慰謝料として 100万円 を受け取ることになりました。

骨折こそなかったものの、しばらくは全身が痛み、仕事もまともにできないほどの状態でした。

■当時の私は「100万円=パチンコ打ち放題」だと思っていました

パチンコ依存症のピークだったこともあり、
正直、最初に頭に浮かんだのは

「これだけあれば好きなだけ打てる」

という完全に終わった発想です。

とはいえ、心のどこかで
        •       負けたくない
        •       できれば勝ち続けたい

そんな願望があったのも事実です。

しかし当時の僕は、

「パチプロなんて無理だろう」
「もっと昔に生まれてたら勝てたのに…」

そんなふうに “時代のせい” にして諦めていました。

今の自分からすると、ただ知識がなかっただけです。

さらに不運(?)なことに、
私の周囲には パチンコ・スロットで勝っている人が一人もいませんでした。
もし、当時「打ち子募集」を見つけていたら迷わず応募していたと思います。

■100万円でまずやったことは…シンフォギアを朝から晩まで

入金された100万円を握りしめて、
当時好きだった CRフィーバーシンフォギア を朝イチから夜までブン回し。

さらに、負けた分を
スーパーリノMAXでワンチャン狙う という謎のハイブリッド立ち回り。

シンフォギアの「手紙の音」、
リノの「トマトテンパイの高揚感」。
当時の私は完全に“刺激”に中毒になっていました。

結果は…もちろん惨敗。

トマトは一度も揃わず、約16万円の負け。
(私は産まれた時から引き弱です)

■大敗して初めて「勝つ方法」を調べ始めた

16万円負けた帰り道、さすがに現実に引き戻されました。

「…勝つ方法って本当にないのか?」

そこから必死に調べ始めました。

すると、ブログやTwitterで
日々の稼働を公開している“自称パチプロ”たちが見つかりました。

最初は正直、胡散臭いと思っていました。
ですが、
        •       毎日の更新
        •       説得力のある文章
        •       収支表まで公開

これらを見ているうちに、心のどこかでこう思い始めました。

「この人たちの真似をすれば、もしかしたら勝てるのでは…?」

■ディスクアップとの出会い――初めての「期待値」

ちょうどこの頃、ホールに
「設定1でも勝てる」 と噂の機種が登場していました。

ディスクアップ です。

このあたりから “期待値” という言葉がよく使われるようになった印象があります。

僕は元々アクロス系が好きで、目押しもそれなりにできたため

「楽しみながら勝てるなら最高じゃん」

と、昼出勤の仕事前に朝からディスクを打つ日々をスタート。

真似して収支をつけるようになり、
なんとその月は +30万円。

(もちろん今なら分かりますが、ただの上振れです)

ただ、その成功体験があまりにも気持ちよすぎて、
すぐにパチンコを打ちたい欲が再発。

趣味打ちを繰り返した結果、当然のように負け続け、
気づけば 100万円は 半分以下 に減っていました。

■そして年末、僕はひとつの決意をした

このままでは何も変わらない。

そう思った僕は、収支表をいったんリセットし、

「来年から本気で取り組む」

と心に誓いました。

この決意こそが、
のちに “軍団長アル” になる僕の原点です。

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