初めまして、管理人のアルです(‘ω’)
パチンコ依存症を10年ほど経験し、そこから軍団長として年間1000万以上勝つところまで辿り着きました。
猫アレルギーなのに猫が好き、基本お酒を飲みながら書いています。
まずは、養分時代から軍団長になるまでの“パチンコ人生”を振り返っていこうと思います。

この章では、ただ“打ちたい”だけだった僕が、
控えめに言って地獄のようにパチンコへ溺れていった日々を描きます。
何も知らず、ただ光と音に惹かれて座り続けた少年時代——
すべての始まりはここからでした。
ーーここから、僕の人生は大きく狂い始めます。
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■ すべての始まりは、ゲーセンの4号機だった
中学の時に友達とゲーセンへ行ったのが始まりでした。
初代北斗、吉宗、番長等。
今も語り継がれる4号機たちに、当時の僕は自然と惹かれて足が向いていたのかもしれません。
メダルを入れて、液晶を眺めて、ボタンを押すだけ。
単純なのに、なぜか妙にワクワクしてしまう。
液晶とリールがリンクして、小役が揃うか揃わないか——
“ただそれだけ”なのに、自分の手ではどうにもできないミステリー感にどんどん惹かれていきました。
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今思えば、通っていたゲーセンは設定なんてほぼ入ってなかったと思います。
当たらないし、バケばっかりだし、最後は必ずメダルが尽きる。
でも、当たった時に出てくるあの光と音が、中学生の僕にはたまらなかった。
「負けてもまた明日打ちに行きたい」
すでにこの頃から、パチンコ・スロットに心を掴まれていたんだと思います。
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■ 高校中退と、16歳のパチ屋デビュー
高校に入ってすぐ、悪い先輩が
「この店、年齢確認されないよ」
と言っていました。
その一言で、僕は誘惑に勝てずパチ屋へ。
5000円だけ握りしめ、マスクで顔を隠して、心臓バクバクしながら1パチへ向かったのを覚えています。
当時はただ
「バレずに打てるか」
「当たるかどうか」
それだけで興奮できました。
結果は7000円ほど勝ち。
しかし勝ちよりも、“バレずに打てたこと”の方が印象に残っているくらい緊張していた。
——ここからが本当の地獄の始まり。
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■ 完全に依存へ。
負けても行き、勝っても行き、打てないのが一番苦痛。
高校は3ヶ月で中退しました。
理由はいろいろありますが、どこかでパチンコに逃げていた自分もいました。

その後の僕は、ひたすらパチンコ中心の生活。
• 友達からお金を借りて打つ
• パチ屋でバイトしても給料を全部吸われる
• 彼女にパチンコが理由で振られる
• 所持金1000円で甘デジ海を打ちに行く
• 負けても寝たら忘れてまた行く
勝ったお金は“軍資金”であって“お金”ではない。
貯金なんて一度もしたことがありませんでした。
当てたい。
演出が見たい。
ただそれだけ。
負けてお金がなくなることより
「打てない方が苦痛」
という感覚になっていたんです。
これは依存症そのものですが、当時の僕は認められませんでした。
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■ でも、そんな僕にも“転機”が訪れる
依存にどっぷり浸かったまま大人になり、
気づけば数年間、その生活を続けていました。
しかし——
そんなある時、僕の人生を大きく変える
「100万円」
が手に入る出来事が起きます。

最初はもちろん“好き勝手に打ち散らかしただけ”でした。
けれどこの100万円こそが、
依存症のパチンカスだった僕を、
期待値を学び、
兼業へ踏み出し、
軍団長として年間1000万を勝つ人間へ変えていく“最初の分岐点”。
次回は、その“人生を変えた100万円”の話と、
そこから僕がどう変わっていったのかをお話します。
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